ぶら銀山〜探訪の城下町、岩国編〜

ウィークデー昼下がり

ナイスクールダウン

身近な場所の歴史を読み起こす吉永パイセンとの密かな活動

今回は岩国の街にスポットを当ててみた

そしたらばすぐさま吉永パイセンが昭和17年頃の岩国西地区の地図を準備してくれた

そうそう

錦帯橋があるあの辺り

僕の場合

岩国は地元なので錦帯橋付近に行ったとしても生まれ育った場所なので最初からそれがある

なので特別それに対してなんの感情もなかった

あるのが当たり前すぎて

しかしながら高校を卒業して地元を離れて時間が経つ

なんとなく地元の風景を思い描く

今まで意識してなかった場所のことを改めて思い出してみる

錦帯橋って実はすごいんじゃないんか。。

葛飾北斎パイセン作



釘を一本も使わず当時の人はどうやってこれを組み上げた?

しかもとてつもなく長い時間

姿形変わらずその場所にずっとある

どんな耐久性?

そうこうしてると吉永パイセンから当時の城下町だったエリアの話があった

2017年の今日現在、岩国に映画館のような劇場はない

しかしながら1955年頃には13個の劇場があったとのこと

寿映画劇場
岩国帝劇
スバル座
岩国セントラル劇場
オデオン座
ロマン座
岩国東映
第一東宝
岩国国際劇場
岩国日活映画劇場
岩国中央劇場
錦帯劇場
銀座映画劇場
第二劇場

この中で僕が知ってるのは岩国セントラルと国際劇場の2つだけ

で、今は一個も無い

テレビが登場するまではここの劇場で観たり聞いたりいろんな人たちの情報をゲットしてたんだろうね

そしてそして当時岩国で一番熱かったエリアは今の岩国駅がある麻里布の辺りではなく

やっぱり城下町だった錦帯橋のある西エリアだったと

椎尾八幡宮から広がる街並み

今でいう中央フードの辺だろう

ここの店舗の正式名称

『中央フード銀座店』らしい

銀座って。。。なんかプライドを感じるな

たくさんの人たちがここら辺で情熱ファイヤーしてたとのことだ

遊郭とかもたくさんあったとか吉永パイセンは言ってた

遊郭とかもって吉永パイセンが言ってた


今まで当たり前のように思ってた場所も少しだけ意識してみると実は面白い

当時の人はどういう思いでそこにそれを作ったのだろうとか

どういう生活をここでしてたのかとか

錦帯橋を望むこの場所にそういう人たちがたくさんいたって考えるとワクワクするな

実に興味深い

歌川広重パイセン作



もちろん錦帯橋ができた当時が1673年ってことなので350年近く経つことになるので

当時の人たちは誰一人ここにはいない

でもでもその当時の人たちの生活の架け橋としてここにある五つの橋は2017年現在も変わらず現存しているというのがなんとも感慨深い

今では日常的な橋としての機能は持ってないけどそれでも未だに人がこの橋を渡って対岸まで行き着くことができるっていうのはなんとも夢があっていいな

でも夢じゃなくて現実なんでナイスリアルストーリーじゃん


今回吉永パイセンが準備してくれた地図を持って

当時の街並みを探訪するのもきっと楽しいと思う

近いうちに是非とも自分の生まれた街を改めてしっかりと見つめていきたいと思う


何年か前に銀山町情熱ワゴンツアーで繰り出したやつ

これを意識的にみるのもまた新しい面白さがあって良い

吉永パイセンとのウィークデー昼下がりは意外に濃厚だぜ 笑

僕の周りは何かと情熱型劇場が繰り広げられてる🎥

Thank you baby☆

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